旅夜話

とある好奇心の航跡

日常の中で海外と日本をついつい比較してしまう話

ブラジルに行き、そして帰国し、半年以上がたった。

何でもない日々の暮らしの中で、ふとブラジルのことを思い出したり、日本と比較してみたりしている自分がいる。
いや、ブラジルだけじゃない。
今まで自分が訪れた別の国々のことも思い出すし、またそことも比較している。
意識してそうしようとしてるわけじゃないんだけども、他の国を知ってから、自分の国を相対化してみることが僕の中でごく自然なことになってしまったのだ。
もちろん、国が変われば文化も習慣もまた変わるから、旅に出れば様々な局面でびっくりするような違いを体験することがある。
あの国はこうだったな…とか、日本とはこういう風に違ったな、とか今になって思い出すのはおもしろい。
というわけで、今後数回にわたってのブログでは、外国と日本を自分の中で勝手に比較し、そうして思ったことを気の向くままに書いていこうと思う。

前回はブラジルから帰国してすぐに感じた日本の印象について書いた。
それは自分にとってショックなもので、しばらくの間、それをどう理解すべきなのか、じっくりと考えを巡らさざるを得なかった。

 

akitsuyoshino.hatenablog.com

 

今回は、もうとっくに日本に馴染み、元の日常に戻った中でこれを書いている。
今の僕は、ああ、日本て居心地がいいな~、と日本を満喫している。
日本が大好きだということを再確認している。
日本を誉めたい気分なのである。
よって、僕が訪れた国より日本の方が優れているとか、僕が好きだと思える部分について主に書いていくことにする。
それはまさに今、日常の中でその恩恵にあずかり、僕が日本に居心地の良さを感じる要因になっているものだ。


まずは、社会インフラなどの、様々な設備のクオリティ。
中国やインド、ブラジルといった国々と比べると日本のそれはちゃんとしている。
行ったばかりのブラジルの道路、これはなかなかひどかったな。
大都市の中心街は別として、大概の地方都市の道路は穴凹がところどころ開いているのが常だった。
中には大事故につながるくらいの大きさのものもある。
明らかに危ないんだが、放置されている。
ブラジル人は、日本にはこんな道路ないだろ!?なんて笑っていたが、確かに無いだろう。
こんなものを日本で放置していたら新聞沙汰だ。

またブラジルでは下水処理がうまくいってないところも多いらしく、実際、住宅街の中をものすごい悪臭を放つ河が流れていたりした。
そのすぐ目の前に住宅が建ち並び、普通に人々が生活していたのだ。

建物も、日本のは作りがしっかりしているように見える。
中国ではビルの外壁にヒビが入っているのをよく見かけた。
なんなら新しいビルでさえ、ヒビが入ってたりした気がする。
日本ではそんなのを見た記憶がない。

香港で割といい値段のするホテルに泊まった時には、浴室の排水口が詰まっていて水が流れなかった。
フロントにそのことを伝えると、そんなこともあるわいな、くらいのリアクションだった。
部屋は変えてくれたけども。
ホテルでこれだと、一般の住宅はどうなっちゃうんだろうと思わされた。
インドでは安いゲストハウスならシャワーがちゃんと出ないとか当たり前だった。
目の前で天井に取り付けられたファンが外れて落下し、ゲストハウスのオーナーを直撃したこともある。
オーナーは苦笑いしていたが、さして動じてもいなかった。やはりそんなこともあるわいな、くらいの感じだった。
それを見た僕が、自分のベッドの真上に設置されたファンに、とてつもない恐怖を感じながら毎夜寝ることになったのは言うまでもない。
宿泊施設の設備が社会インフラに含まれるのかどうかはよく分からないんだけども、要は、ぶっ壊れた物とかちゃんと機能しなくなった物がそのまま放置されている状態を、僕が行ったことのある新興国ではよく見かけたし、そういう状態に無頓着な雰囲気が社会を覆っているように感じた。
その点、日本は全然違いますわね。
もちろん、今の日本の社会インフラが老朽化などの様々な問題を抱えていることは知っているけれども、それでも、もともとちゃんと作られているもんだな、という印象がある。
ちゃんとした物を作り維持するんだという責任感が、作り手にあったんだろうと感じる。
ブラジルや中国やインドではその責任感という点で、ん??と思わされるものを多く見かけたのだ。

 

さらに、様々なサービスにおいても、海外に行くと日本との違いにびっくりする時がある。
たとえばインドに行っていた時にこんなことがあった。
僕はとある大都市にいたのだけど、そこで手持ちの金を使い果たしてしまった。
もう10年以上前の話で、当時の僕はクレジットカードは携帯せず、トラベラーズチェックという小切手を持ち歩いていた。
それを使いきったのだ。
アホだ。
カードがないから、日本の口座からお金を引き出せない。
どうにかして日本の口座から、インドにお金を送金したかった。
調べてみると、その大都市にある日本のメガバンクの支店で、そういう手続きが可能だということが分かった。
早速行ってみる。
僕はハーフパンツによれよれのTシャツにサンダルという、絵に描いたような貧乏バックパッカーの格好をしていた。
銀行内に入ると、客はほとんどいなく、閑散としている。
カウンターの行員達は暇そうにしていた。
皆インド人のようだった。
一人の男の行員と目が合った。
回転いすの背もたれにグダっと体をあずけ、というかのけぞらせ、さらに右へ左へと回転いすをクルクルと回転させ、ああ、暇を持て余すとはこういうことだよと教えてくれてるんだな、と一瞬錯覚しそうなほどのふてぶてしさである。

イラっとしたが、向こうは向こうで、何だコイツ?という感じでこちらを見ている。

いや、いやいやいや…。
何だコイツじゃね~よ。客だよ。
そう思うが、ここはインドだ。
腹をたてたら負けだ。

自分から話しかけた。

すみません、日本からこちらの銀行にお金を送金したいのですが。

すると行員は、これぞ見下している!という表情で言った。

出来ない(笑)

相変わらず回転いすをクルクル回転させながら、かったるそうな彼の表情は、早く帰れよこのくそ貧乏バックパッカーが!と言っていた。

しかし、こちらもこんなヤツに門前払いされるわけにはいかない。
インドで金がないというのはシャレにならない事態だ。
必ずお金を送金してもらうまでは引き下がれない。
第一、出来るはずなのだ。

粘って話続けた。

彼もなかなか折れない。

出来ないんだよ。そんな手続きはここではやってない。
お前はそんな情報をどこで得たんだ?
おれはここの行員だぞ?
他をあたれ!

日本で最も有名かつ由緒正しきガイドブックである地球の歩き方の本年度版にそう書いてあったんだよボケが!
むしろなんでテメエが知らねえんだよ!
と言おうとしたけど、ぐっとこらえた。

ここの上司は日本人じゃないのか?
もし今日本人がいるなら合わせて欲しい。
本当に困っているんだ。

そう下手に出て頼み込んだ。
根負けした彼は、お前ごときの為に上司呼ぶのかよ、という態度を隠そうともせず、だるそうに電話をかけた。

しばらくすると日本人の女性が階上から降りてきた。

お待たせいたしました。

そう言ってお辞儀をする、いかにも、いかにもしっかりとしたその日本人女性を見た時の僕の安堵感が分かるだろうか。
やっと日本人が思うところの、普通の行員が出てきたのだ。

上の階にお上がりください。

そう丁寧に案内され、応接間に通され、およそ僕の格好に似つかわしくない上等なソファーに座るよう促され、お茶まで出てきた。

そうして待っていると、今度は日本人男性が出てきた。

お待たせしてすみません!

そうにこやかに挨拶してくれた彼はなんと支店長だった。

こんな、どうかと思う格好をしている僕の話を親身になって聞いてくれた上、その手続きなら出来ますと、至急やりましょうと言ってくれた。
他愛もない雑談もし、終始なごやかな雰囲気だった。
階下でインド人に雑な対応を受けた後だったから、余計に感動してしまった。

支店長と別れ、階下を通って銀行を出る時に、先ほどのインド人と目が合った。
その表情は相変わらず僕をバカにしていた。
こちらの言い分が合っていたわけだが、それについて気まずいとか、申し訳ないとか思っている風には見えなかった。
やれやれ…。


とまあ、こんな風な体験をしたのだが、僕が言いたいことは何となく分かっていただけると思う。


日本人の対応は丁寧なのだ。
それもおそらくは相手によらず。
もちろんこの一件はすごく分かりやすい例としてあげたまでで、これだけで結論めいたものを出そうというのではない。
ただ、新興国を幾つか旅した上での僕の感想を言えば、接客とかサービスを行う人の対応が、総じて日本のそれより丁寧さで下回ってくる。
中にはすごく丁寧な人もいるから、あくまで僕が感じた平均値なんだけれども。
ただ、日本ではありえないレベルの対応をしてくる人がけっこういたりするのだ。
先の例の人はまさにそう。
さすがに、日本ではあんな行員いないだろう。
しかしあの行員にしたっていつもあんな感じではなく、彼から見てちゃんとした客が来た時には丁寧に対応するんだと思う。
相手を見てかなり態度を変えるはずだ。
みんなにあんな対応していたらさすがにクビだろうし。
この点で、日本人はそこまであからさまじゃない。
内心では、やだな~と思ってたって、態度にはなかなか出さない。
きっとそれが最低限の礼儀だと思っているからだ。
訪れた新興国では、そのへんの感覚が違うんだろうなと感じた。
しかしこれも国別に感触がだいぶ違ったりもする。
インドはカースト制が社会に根付いているせいか、相手の社会的立場によって態度を変えることが、もっとも露骨に行われているように感じた。
中国では相手どうこうより、自分が気にくわなければ、思いっきりそれを態度に出してくるような印象。
ブラジルは接客態度が悪いと思ったことは実はあまりない。その場では丁寧に対応してくれることがほとんどだ。
ただし独得のルーズさがあり、そこを考慮すると、全体として丁寧と言えるのかは疑問だ。
これにはちょっと説明が必要だと思うので、自分の体験で具体例を示したい。
ある地方都市で、全国展開する大手銀行の支店に入った。
(例をひくのがまた銀行の場面だが、思い浮かんだ中でこれが最も分かりやすい例に思えたので悪しからず。)

中では大量の客が待っているのだが、たった二人の行員のみで窓口対応していた。
その時点で日本人としては違和感があった。
窓口は他に幾つもあるのに、稼働しているのは二つのみなのだ。
日本ではあまり見かけない光景だろう。
他の行員は窓口業務が出来ないのだろうか?
そんな疑問が当然湧く。
何十人もの客が待ってるのだ。
この状況で窓口業務をしていない行員達がのんびりして雑談など交わしていることにも驚かされる。
さらに衝撃的なのが、そんな状況にもかかわらず、その窓口業務を行っている二人でさえ全然仕事を急いでいないのだ。
客と明らかに仕事と関係ない話をして盛り上がっている。
全く急ぐ気がない。
そんなんだからいつまでたっても順番は回ってこない。
それでも、待たされている客が怒らず辛抱強く待っているのはすごいと思ったが、時計を気にしている人はたくさんいたので、やはり何とも思っていないわけではないんだろう。
しかしそんな彼らでも、自分の番が回ってくると雑談してしまうのだが…。
このような状況に遭遇したのは一度や二度ではなく、ブラジル各地の銀行で何度か遭遇した。
あと、ブラジルでビジネスをやっている日本人の友人曰く、にこやかに約束をしてくれるのだけれど、その約束が守られないことが多いらしい。
そしてそのことを悪びれもしなかったりするので、やはり感覚がだいぶ違うところがあるということだ。
つまりブラジルでは対面での人当たりはいいのだけど、その実、客のことをどれだけ大切だと思って仕事をしているかというと疑問符がつくわけである。

というわけで、僕が今まで訪れたインド、中国、ブラジルといった国で僕が受けた様々なサービスと、日本で僕が受けた様々なサービスを比べると、日本の方が良くしてくれるし、信頼できる印象だ。
日本の場合は、お客さんのことを考えて、みんなに分け隔てなく同じ質のサービスを提供し、かつ早いのだ。
そりゃあ、日本にだって気分の悪い対応してくる人もいるし、先に挙げた国でも、素晴らしい対応をしてくれる人もいるので、あくまで僕が感じた平均値みたいなものなんだけども。
やっぱり日本では一定の水準のサービスが受けられることを当然のように思っているし、それはこの国で暮らす上での大きな安心材料だ。
そしてそういう安心感をなかなか持てない国も多いのだ。

日本で当たり前に受けているサービスは、それが当たり前でない海外から帰ってくると、すんごくありがたいもので、そういう意味では日本ていいな~とすごく思う。

今の僕はそれを満喫している。

そう、これはかなりラッキーなことなのだ。

貧乏な上に世の中にロクに貢献していない僕なのに、ちょっと出歩けば下にも置かない扱いを受けれるのだから。