旅夜話

とある好奇心の航跡

サピエンス外伝  チベット編①

どでかい景色だった。
どこまでもどこまでも続く薄茶けた大地。
近くを見ればそこかしこで常に地面は隆起していたけれど
特別大きいという程のものは無くて、遠くまで見渡しての感想を言うならばこの地は概ね平らだった。
ただ、地平線で一回切れた大地の向こうにはヒマラヤ山脈が見えていて、雪を被って並び立つ世界の屋根は神々しく
、薄茶けた大地の連続とは一線を画していた。
とは言え今自分がいる場所、この大地の標高がすでに4500~5000メートル程あったから、そこから遙か遠くにあるヒマラヤ山脈は相当標高が高いであろうことは予感させつつも、目視する高さ的にはおとなしくなだらかな地平の一部に納まってしまっていたので、その姿をもってしてもこの単調な景色に強力な変化をもたらすというほどではなかったのである。

とんでもないところに来たな…。
そんなことを改めて思いながら僕は一人黙々と歩いていた。
苦しい…。一歩足を踏み出すことがもう大変だった。
この標高だと平地に比べて酸素濃度が大分低いのである。
海抜0メートルのところと比べたら50%~60%しかないらしい。そんな具体的な数字まではこの時は知らなかったけど、酸素濃度が低い影響は体感ではっきり分かった。
とにかく疲れ方が半端じゃなかった。ただ歩く、それだけのことなのに呼吸はゼーゼーととても荒く、一歩踏み出すごとに体力のゲージが目減りしていく気がした。
体が重い、それに加えて荷物が重い。25kgくらいは背負っていたと思う。もっと標高の低いところを歩くのでも自分にとっては嫌な重さだったから、ここではもう本当に投げ捨ててしまいたい程に重く感じた。
30メートルくらい歩いたらしばらく座りこんで休むということを繰り返しながら進んだ。
こんなゆっくりしたペースで果たしてちゃんと進めているのかと時々不安に思ったけれど、偉いもんでこれでけっこう進んでいるのだった。小さな砂山を幾つも通り過ぎて来たことが、振り返るとよく分かった。
着実に進んでいる、この力強い事実に励まされながら、次の一歩次の一歩と踏み出していた。

時刻は正午を回ろうとしていた。
太陽はほぼ真上にあった。
そこから放たれる光には、容赦がないという表現がピッタリだった。とにかく強烈なのだ。こんなにもまぶしく研ぎ澄まされた太陽光はこの地に来るまで見たことがなかった
。理由ははっきりしていた。大気の透明度だ。初めてと言えばこの地の空の青さも見たことがない類のものだった。
不純物の何も無い青。抜けるような青空とは正にこのことに違いない。この空を抜けてきた太陽光が下界で見るのとはまるで違うのも当然というものだった。
しかしこんなものだったのか…。太陽光を見る僕の中では惚れ惚れするような気持ちと恐ろしいような気持ちが入り混じっていた。まるで抜き身の日本刀を見ているような感じと言えば近いかもしれない。
ただ美しいとは言い難い、危険さを感じさせる、凄みのある、そんな美しさをこの地の太陽光は持っていた。

暑いな…。

これは予想外だった。何しろこの地は標高が高いのだ。
かなり寒いことを想定して相当の厚着をしてきていた。
ところが日中、強烈な直射日光の下でひたすら歩いていると暑いのだ。しかし時折砂塵を舞い上げて吹き付ける風はなかなか強烈で、上着を脱いでいいものかどうかちょっと迷った。が、結局2枚脱いだ。確かに風は体温を奪ったけれど、この時間帯なら危険な程ではなく火照った体に丁度良かった。

しかし、しかし、ほんと何も無いな…!
確かに土、岩、空、とこれ以上ないくらい単純な世界だ。
でも退屈していたかと言えばそうでもない。
土や砂岩の織りなす表情の変化を楽しむ程にはこの地に順応してきていた。
それでも無視できない感覚がずっとあって、それが感情の表面にぐーっと上がってきての、何も無い!だった。
この地を歩き始めてからずっとそこにあった感覚。
どうやら僕はあえてそれを見ないようにしてきたようだ。
でも今、なんだか大丈夫な気がして自己主張するそれを自由にさせていた。
その感覚の正体。それは言わば“乾き”だった。
何に対する乾きか。実は最初から分かっていたのだが、それは“親しみを感じられるもの”だった。
体なら水を欲して乾く。だけど心は親しみを感じられるものを求めて乾いた。
僕はこの地を一人で歩き始めたこの日の朝のことを思い出していた。西チベットの辺境の村を離れ、荒野に足を踏み入れた。人里は徐々に遠ざかり、やがて砂山の向こうに見えなくなり、視界にはただ土と砂岩があるだけになった。どこに目をやっても僕は何にも相手にされていなかったし僕を助けてくれそうなものは何も無かった。
僕に近しいものは何も無く、つまりは親しみを感じられるものが何も無かったのだ。
そんなことは今まであった試しがなかった。
僕は全く想像していなかった感触に衝撃を受けていたし、まさに今、過去に経験してきたいかなるものともかけはなれた現実のその最中にいて、これからずっとこの状態が続くということに対してヤバいと直感していた。
そしてさらにもう一つ衝撃を受けていることがあった。
それは自分がこんなにも親しみを感じられるものを探すのだということ、そのことを今の今まで自覚すらしていなかったということだった。
僕の心は視線を通して触手を伸ばしていた。
土に触れ、岩に触れ、そしてその度に触手はうなだれて帰ってきた。それを繰り返す中でようやく、自分が普通に期待していることに気づかされた。僕の心は無邪気にも親しみを込めて土や岩に触れていたのだ。親しみを返してくれることを期待しながら。しかし彼らは何も返してくれなかった。そんなことはとっくに、この地に来る前から分かっていてもよさそうなものものだった。もちろん頭では分かっていたんだと思う。でもほとんど無意識に僕の心はそんなことをしていたのだ。つまりそれはかなり習慣化されていた行いだった。
日本にいて普通に生活していれば、まず身の回りに自分の助けになるようなもの、親しみを感じられるものがあふれていた。だからそれらを意識して探そうとはしていなかった。でも心の触手は常にそういうもの達に触れ安心感を得ていたのに違いなかった。人やあらゆる人工物や他の生物達などに触れる度に心は少しずつ安心感を蓄えていたのだ
。そういう作業を無意識にずっとやっていたからこそ、それが習慣化されていたからこそ、この不毛の荒野にあっても心の触手は周囲のものに当然のように触れて回ったのだ。にべもない拒絶にあって初めて僕はそのことに気付いたのである。
でもその無邪気さこそが僕をしてこの荒野に向かわしめ、一人で歩くことを可能にしたものだとも言えた。
つまりこの無邪気さの根本には無知ゆえの楽観があったのだ。そうであるならしばらくそのままでいてくれなきゃ困る。僕はとっさにそんな風に判断したんだろう。
寂しさを抱いた心は何でもいいから親しみを感じられるものを求めて得られず、乾いた。
僕はそこに蓋をしたのだ。気にしないように、見ないようにするしかなかった。
だけどそれは常にそこにあった。その事実をここにきてようやく直視出来るようになっていた。けっこうこの荒野にも慣れてきたところで渇望を飼い慣らす自信もついてきたのだと思う。
かと言って親しみを感じられるものが何もないことには変わりなかったが。

相変わらず容赦なく照りつける日差し、乾ききった大地。
僕の体力はどんどん失われていったし、そのことを気遣うものは見渡す限りの世界で何一つ無かった。
そんな中で、ふいに僕は妙な感覚に捕らわれた。
自分自身のことが不思議に思えたのだ。
何だこれ、と思った。自分なのに。
僕は周囲のもの言わぬ者達と自分を見比べていたのだ。
一番目につく物体と言えば無数の砂岩だったが、彼らはどっしりと佇み、ただそこに在り、太陽光と風にさらされていた。彼らはいずれその形を崩し、砂と化すだろう。だがそうなるまでには悠久の時を必要とするに違いなかった。
ところがこの僕は何やら複雑な構造をした体を持って、服を着て(それも何枚も)大きな荷物を背負って、その重さでフラフラしながら必死に進んで、息をゼーゼーして、そんなやたらと騒々しい様子でありながら、その形を留めておけるのは砂岩と比べてはるかに短い時間でしかない、そんな存在だった。
これはとても変な事実じゃなかろうか。この自分はまるで道化のようだった。
見渡す限りのこの世界で他の何者よりも存在することに躍起になっているのに、下手をしたら他の何者よりも先に崩壊する存在なのだ。これが滑稽でなくてなんだろう。存在の仕方がそもそも間違っているんじゃないかと思えた。
少なくともこの奇妙な存在がこの世界に在る為には、しかるべき理由がなければおかしいだろう。
全てが崩壊に向かう世界で全力で崩壊に抗い、しかしほんのわずかな時間で消え去る存在である理由。
存在するだけなら、そこらの岩の在り方が正解だった。
存在するだけなら。
そう、そうだ、僕は存在しているだけじゃない。こうして考えている。僕は意識なんだ。この意識こそが僕が在る理由なんだ。この意識には価値があるじゃないか。こうして世界を認識してそのことを自覚している。そして、そして…。それで?それで何だろう。
この意識がこうして色々とものを考え世界を認識することが世界にとってなんだというのか。この意識は様々なことを感じたり考えたりするだろうが、結局のところ跡形もなく消え去るのだ。それもほんのわずかな時間で。
とすれば意識は僕の存在理由になってくれるどころか輪をかけて僕の存在を不思議にしているのかもしれなかった。
いや、でも…。この無味乾燥な世界で、この意識は何か特別で貴重な存在に思えて仕方なかった。
でも何でなのか?
僕は何も知らなかったし、これは愕然とする事実だった。
だが気付いていることもあった。
価値も意味も何かの文脈の中に発生するということだ。
どういう風に価値や意味があるのか、それを説明するには前後の文脈がどうしても必要だった。
僕の心はそんな文脈を求めて虚空をさまよい、答えを探した。
それはあるはずに思えた。
だがもちろん、世界は沈黙をもってそれに応えるのみだった。