旅夜話

とある好奇心の航跡

幼少期の記憶 〜定住型と放浪型〜

僕は幼い頃、3.4歳の頃だったと思いますが、東京湾を望む丘の上の団地に住んでいました。
そこから一番近い湾内には石油コンビナートが見え、 その向こうには大抵 いつも、いくつかの船が浮かんでいました。
船は気をつけて見ていなければ分からないほど、本当にゆっくり進んでいました。
子供ながらにあんな速度で、恐らくはとても遠いであろう目的地に果たして辿り着くのだろうかと心配でした。
しかし、そうは言ってもきっと辿り着くのだということは分かっていましたから、そ の事実と船の進み具合が自分の中でうまく結びつかなくて不思議な気分なのでした。

その頃、僕は日本や世界の地図が描かれた一冊の絵本を持っていました。
その絵本には地図と共に、様々な国の人々の暮らしの様子が、鮮やかな色使いで描かれていました。
僕 はその絵本が大のお気に入りで何度も読み返していました。なので、そこに描かれた程度の地理については理解していたと思います。
自分が眺めているのは東京 湾で、あの船の行く方向には太平洋があるということも、太平洋をずっと南下していくとオーストラリアがあるということも知っていました。
丘の上からボーっ と船を眺めながら、あの船はどこに向かうんだろうと想像をふくらませているとわくわくしました。
当時の僕には東京湾でさえ広大に思えましたから、その姿さえ見えないオーストラリアやアメリカ、アフリカまでの距離を思うと、その間に横たわる海の想像を超えた広大さに圧倒され、またそれがなんだか嬉しくもありました。
そしていつか海の向こうの土地を見てみたいなぁと思っていました。

そ んな海の向こう、あるいは地平の先、未知のものへの好奇心というのは、僕の中で自然に湧き上がってくるあまりにも当たり前な衝動だったので、これは他の皆 もそうなんだろうと思っていたのですが、どうもそうでもないらしいということには、成長するにつれて徐々に気づいていくことになりました。
当時の僕の記憶の中で、そのことを象徴するようなある出来事があります。
同 い年くらいの数人の子等と、道路に石かなんかで絵を描いて遊んでいたのですが、僕はそのうちの一人の女の子に一生懸命日本列島を描いて見せ、今僕らが住ん でいるのがここら辺で、これが東京湾でこの先が太平洋で、北があっちで南があっちでなんて興奮しながら説明していました。
それで僕が列島の絵に視線を落と し、ますます熱を込めて話をしている最中に、ふと顔を上げると女の子はいなくなっていて、別のグループの所に行ってしまっていたのでした。
この時の僕は “なんでこんなに面白いのに聞いてくれないんだよ!”なんて思ってましたが、後から考えれば無理もないですね。
僕はその子が興味ないことを夢中で話してい たわけです。
人の好みは色々だと知るいい機会でもありました。まあ、この時の女の子にしたって、大人になってから海外をばんばん旅してたりするかもしれませ んし、単純に僕の話がつまらなかったという可能性もありますが、この時分にしては僕が他の子よりは地理だとか、未知の世界だとかに対する好奇心が強かった んではないかという ことを示唆する、一つの印象的な場面として僕の記憶の中には残っています。
女の子だけじゃなくて男の子にしても、皆同じように東京湾を見渡す場所に住んでいたのに、あまり海のほうに興味を持っていなかったんじゃないかなあと思います。

も う一つ、この頃の記憶で印象深いのが家族で車に乗り、おそらくは東京の高速道路を走っている時のものです。
高速の壁が途切れているところから、立ち並ぶビ ル群が見えました。
その威容にすごいな!と興奮するのと同時に、無機質なその姿と、その存在の目的の窺い知れなさに、とっつきにくいものを感じました。
ど うもあのビルの中に人がいて活動していることは想像しにくかったですし、何より温もりを感じなかったのです。
どこまでも続くビル群に、それを造り上げた人 間の底知れぬ力を感じ、単純にその力強さには感動を覚え、その先にある未来に何かすごいものが待っているのかもしれないなと思う一方で、良いか悪いかで 言ったら決して良くはないものもその景色に感じていました。
もちろんそのことを深く考えてみることはしなかったのですが、漠然と大都会に対するイメージが 形作られた時だったと思います。
僕が住んでいたのは神奈川県の東京湾沿いで、団地や一軒家 が立ち並ぶ普通の住宅街でしたが、ところどころに開発されていない林や、草の生い茂る空き地が残されており、そういった場所で遊ぶのが僕はとても好きでした。
まあ、一言で言えば自然が好きだったのですね。範囲は狭いながらも街中に点在する自然に親しみを感じていました。
で、 その頃に、大人になったらあの大都会に出て、あのビル群の中で働くことになると、それが普通であると知ったのです。普通に生きてればそうなるんだと、何の きっかけでか分かりませんけどそう思ったんですね。
それは嫌だなぁと思いました。
あの中でずーっと過ごすということが何とも夢のないことに思えましたし、 自分には合わないなと感じました。 
そして更にビックリし、嫌だなと思ったのが、将来家を買 い、そこに定住し、一生をそこで暮らすことでした。
周りを見れば皆そうしているわけですから、そんなのはうすうす分かっていたのではないかとも思うのです が、当時の僕はどういうわけだか自分もそうしていくんだということにビックリしましたし、激しい抵抗感がありました。
一生同じ場所ですごす?あり得ない なぁ、という感じでした。
つくづく変わっていますよね。
この頃から普通に社会で生きていく素養に欠けていたようです。
しかしこれは僕の中にある自然な傾向でしたから、できる限り叶えてあげなくてはなりませんでした。
僕の傾向ははっきりしていました。
未知の世界に憧れがあり、自然が好きで、一ヶ所に留まりたくはない。
そんな渇望を満たすのにぴったりなもの、それは間違いなく旅でした。
いつか旅に出てやろう、世界を見て周ろう、そんな夢、いや決心とも言うべきものを、この頃にはしていたように思います。

さて、大人になった自分は実際に海外を旅するようになったのですが、自分の旅志向と言うか、その傾向がいつ頃からあったのかなと思い返すと、この3.4歳の頃の記憶にたどり着くんですね。
それで、自分のルーツを確認するような気持ちで懐かしさを感じながら、ここまで書いてみました。

で、前から思ってたことがあるんですけど、
それは、人には定住型と放浪型があるんではないか、ということなんです。
だっ て大半の人は、幼い頃から将来海外を旅しまくってやろうなんてそんなに強くは思わないでしょうし、大人になったら働いて家を買って定住することが当たり前で、そういう将来に対し てなんの不満もなかった人間と、僕のようにふらふらと遠くに行ってみたくてしょうがなくて、一ヶ所に居続けることに抵抗を覚えていた人間とではぜんぜん感覚が違い ますもんね。
僕はこの違いは、ほとんど生まれ持った傾向のようなものとしてあるんじゃないかと思うのです。
だから、日本は定住社会ですけど、一定数、定住に馴染まない傾向を持った人達がいるはずだと思っています。
僕は勝手に、定住に馴染みにくい僕のようなタイプを放浪型と言ってるんですけど、この放浪型には大人になるまであまり会ったことはありませんでした。
ところが旅に行き出すようになると、行く先々でそういう人間に会うことになります。
相対的に数は少ないとは思いますが、確かにいるんですね。これは嬉しかったです。
ちなみに30代も半ばになった今は定住も悪くないなというか、むしろしたいと思ってますね。
ふらふらあちこち行くのもいいけど、一ヶ所に腰を落ち着けることの良さもやっと分かってきました、はい。現実が分かってきたとも言いますね。
金どころか定職もなくて家を買うことなんて夢のまた夢ですが、できるものなら買ってみたいなマイホーム。
大人になったらこんな風に思うようになるなんて想像もしなかったけど、なるんですね。ビックリです。
ではでは。